村上 宗隆(むらかみ むねたか、2000年2月2日 - )は、熊本県熊本市東区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。
NPBにおけるアジア人打者・左打者としてのシーズン最多本塁打記録保持者(2022年、56号、NPB史上歴代2位)。令和初かつ史上最年少の三冠王(NPB史上8人目)。
通算100本塁打、シーズン100打点のNPB史上最年少記録(21歳7か月)、セ・リーグMVP受賞最年少記録(21歳)、シーズン40本塁打の最年少記録(22歳6か月)、シーズン50本塁打の最年少記録(22歳7か月)、NPB史上初となる5打席連続本塁打記録を保持する。
クラブチームで野球をしていた兄の影響で、4歳頃からキャッチボールをするようになる。
父親によれば、村上は幼稚園年中の時に、兄と一緒に野球を習い、すぐに「プロ野球選手になりたい」と言い出したという。
熊本市立託麻南小学校(熊本市東区)に入学すると、自身も兄と同じクラブチームに入団し、本格的に野球を始める。
小学3年の時に、井手らっきょが校長を務め、元プロの今井譲二や御船英之が指導していた「PBA野球塾」に入る。
野球塾のコーチとして呼ばれていた元プロの松永浩美からは、インコースの打ち方などを教わった。
小学4年で「託麻南小野球クラブ」に入団し、6年で元プロの吉本亮の父が指導している硬式野球チーム「熊本東リトルシニア」に入る。
熊本市立長嶺中学校に進学。2年冬には増田珠、西浦颯大らと共に九州選抜チームに入り、台湾に遠征した。
九州学院高等学校では1年から一塁手のレギュラーに定着し、同年(2015年)の夏の熊本大会で優勝。
同大会ではいきなり4番打者として起用され、初打席で満塁本塁打を放つというデビューを果たした。
同年夏の甲子園大会には4番打者として出場するも、石川県の遊学館高等学校の投手小孫竜二相手に無安打に終わり初戦で敗退した。
復活してて草
ちな各球団のトップ選手
ソフトバンク近藤 5.0
阪神近本 4.8
巨人岡本 4.3
DeNA牧 3.8
中日細川 3.3
楽天浅村 3.3
オリ頓宮 3.2
ハム万波 3.2
西武外崎 3.2
広島秋山 3.1
ロッテ藤岡 2.4
ヤク村上 1.6