東京六大学野球通算最多安打(131安打)のリーグ記録保持者。
長野県で出生した後に、船橋市出身で大手証券会社に勤務する実父の転勤に伴って、和歌山県・東京都など複数の都県に居住。
小学1年生の時に、実父が船橋市内に自宅を新築したため、和歌山県から同市へ転入した。
船橋市立飯山満小学校1年生の時に、実父とのキャッチボールを地元の少年野球チーム「ホワイトビーストロング」のコーチが見たことをきっかけに、同チームにスカウト。
「ホワイトビーストロング」で本格的に野球を始めると、6年生の時に、遊撃手・投手・捕手をこなしながら全国学童大会に出場した。
さらに、近藤健介、船越涼太らと共に、千葉ロッテマリーンズジュニアチームのメンバーへ選出、12球団ジュニアトーナメント準優勝を経験した。
船橋市立七林中学校への進学後は、遊撃手や投手として「船橋中央シニア」でプレー。在学中には、千葉県内の陸上競技大会200メートル走で4位に入った。
日大三高への進学後は、1年生時の秋に1番右翼手としてレギュラーに定着すると、東京都大会で打率.435を記録。
チームの都大会ベスト4入りに貢献した。
2年春の第82回選抜大会では準優勝。
チームが優勝した2年秋の都大会では、打率.432、4本塁打、13打点という好成績を挙げた。3年時には春夏ともに、甲子園に出場。
第83回選抜大会で通算打率.529(17打数9安打)を記録すると、5番打者を任された第93回全国選手権大会では、
通算打率.500(26打数13安打2本塁打)でチームを優勝に導いた。3年秋には、山口国体でも優勝を経験。在学中には、通算で32本塁打を記録した。
元天才バッターの終焉やね