精華町立川西小学校1年生の時に軟式野球チームの精華アトムズで野球を始め、精華町立精華中学校在学時は硬式野球のクラブチームである京田辺ボーイズでプレーし、投手と遊撃手を兼任。
DeNA同期入団の森下瑠大とは中学時代から対戦し、ボーイズリーグ京都府選抜ではチームメイトだった。
3年夏には、ボーイズ日本代表として世界少年野球大会に出場した。また、野球教室で当時東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍しており、後にDeNAでチームメイトとなる藤田一也から野球を教わっている。
大阪桐蔭高等学校では、入学当初は遊撃手だったが、1年秋の大会中にチーム事情で臨時で捕手をやったところ能力の高さを見せ、そのまま捕手へコンバートされる。
2年春には第93回選抜高等学校野球大会に出場。智辯学園との1回戦にて代打で途中出場するも無安打に終わり、選抜大会で初の初戦敗退となった。
同年夏の第103回全国高等学校野球選手権大会では松浦慶斗とバッテリーを組み、背番号12ながら正捕手を務めた。
近江との2回戦ではソロ本塁打を放ったが、チームはこの試合で敗れた。同年秋は近畿大会で優勝し、明治神宮野球大会に出場。広陵との決勝では2本塁打を放つなど活躍し、優勝に貢献した。
3年春に出場した第94回選抜高等学校野球大会でも5試合で打率.353、2本塁打、4打点を記録して優勝に貢献。國學院久我山との準決勝、近江との決勝でそれぞれ本塁打を放っている。
古田の生まれ変わりよな