渋川市立豊秋小学校1年時に、豊秋ジュニアホークスで野球を始める。渋川市立渋川中学校3年時には、エースとして、チームを群馬県大会3位に導いた。
前橋商業高等学校への入学を機に外野手へ転向。1年時の秋から1番打者を務めると2年時には第81回選抜高等学校野球大会へ出場(結果は初戦敗退)。
3年夏の全国高等学校野球選手権群馬大会では、4割を超える打率でチームを牽引した末に本大会へ出場した。高校通算18本塁打。走攻守三拍子そろったプレースタイルから、「上州のイチロー」、「群馬のイチロー」の異名をとった。
2010年10月28日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから1巡目指名を受けた。同球団は、この会議の1巡目で、大石達也、伊志嶺翔大、山田哲人を相次いで指名したが、いずれも他球団との指名重複による抽選で独占交渉権を逃していた。
NPBドラフト会議の1巡目指名において、独占交渉権が確定するまでに3度の抽選漏れを経た球団は、この時のオリックスが初めてであった。
後藤自身は、上記の経緯による単独指名の後に、「1位指名は信じられなかった。とにかく嬉しい」「オリックスは本当にプレーしたかった球団」とコメントした。
交渉の末に、契約金7500万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は8。なお、入団時点で同姓の後藤光尊もオリックスに在籍していたことから、入団を機に名前の「駿太」を登録名に使用した。
1000万くらいやろ
年も最下位やね