小学校の在学中からソフトボール、広島市立仁保中学校の在学中から硬式野球を始めた。広島工業高校への進学後は1年時からベンチ入りし、3年春の広島県大会2回戦でノーヒットノーランを達成した。その直後に左肩を故障したため、プロ野球志望届の提出を見送り、法政大学へ進学した。
法政大学では、1年時の秋から東京六大学野球のリーグ戦に登板。2年夏には大学3年生以下の野球日本代表候補に選出された。東京ヤクルトスワローズとの強化試合では先発投手として起用され、3回を無失点に抑えている。
2年秋に3勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献し、その後に進出した第43回明治神宮野球大会では、救援投手としてチームを15年ぶりの決勝進出に導いた。3年春には慶應義塾大学とのリーグ戦で15奪三振と完封勝利を記録。
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ヤクルトの打率、セ・リーグ最下位
ビジター球場21勝47敗
やめた方がいいなw