岩瀬 仁紀(いわせ ひとき、1974年11月10日 - )は、愛知県西尾市出身の元プロ野球選手(投手)。引退後は、野球解説者、野球評論家として活動。
現役時代は、1999年 - 2018年まで20年間にわたって地元・愛知県に本拠地を置くNPB(セントラル・リーグ)球団の中日ドラゴンズに在籍した。NPBにおける最多登板(1002登板)および通算セーブ数記録保持者(407セーブ)。NPB最多タイ記録となる最多セーブ投手を5回、最優秀中継ぎ投手を3回獲得している。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。血液型はAB型。
1974年11月10日、愛知県西尾市で生まれた。出身地は西尾市巨海町で、市立寺津小学校・寺津中学校を卒業した。少年時代から後に所属することになる中日ドラゴンズの熱烈なファンで、小学2年の時に少年野球チーム「愛知衣浦リトル」で野球を始めた。小学校時代から高校時代までは投手一本で、寺津中を経て県立西尾東高校に進学すると、3年生時の1992年7月19日、第74回全国高等学校野球選手権愛知大会2回戦で三好高校を相手にノーヒットノーランを記録したが、4回戦で敗退した。
卒業後は愛知大学へ進学し、外野手へ転向した。
大学卒業後の1997年春には社会人野球のNTT東海に入社し、社会人野球には指名打者 (DH) 制があることから投手に専念した。
当時の中日には先発投手の山本昌・今中慎二・野口茂樹に加え、中継ぎにも前田幸長・日笠雅人・佐藤康幸らがいたが、中日のスカウトであった近藤真一は同年春から岩瀬を高く評価してマークしていた。一方で当時、左腕投手が不足していた阪神タイガースもドラフト1位指名候補として攻勢をかけ、さらに日本ハムファイターズも獲得競争に参戦したが、本人は「相思相愛」であった中日入りを熱望しており、1998年9月26日には中日を逆指名することを表明した。同年のドラフト会議では逆指名第1号で、会議当日に中日から2位指名を受けて入団した。
それから1週間後のタイミングで、今回、岩瀬が殿堂入りを逃したことが報じられると、SNSでは、
《岩瀬式プロテクトという言葉が作られるくらいあの人的補償問題でイメージを下げてしまった。しかも今回は和田の人的補償問題で久しぶりにピックアップされてるからなんともタイミングが悪かった》
そんな過去のことはどうでもいいから
根尾を早くショート野手に戻してほしい
まさかの追い討ちきたのもポイント高い