平成最後の沢村栄治賞受賞と投手三冠王を達成。セ・リーグ最多記録となる最優秀防御率を4回獲得、NPB最長タイ記録となる3年連続で最優秀防御率を獲得、セ・リーグ投手最多タイ記録となる最優秀選手を2回受賞、セ・リーグ投手最多タイ記録となる月間MVPを8回受賞、NPB史上5人目となる2年連続沢村賞受賞。NPBポストシーズン史上初(平成最後)のノーヒットノーラン、開幕投手13連勝のNPB最多記録、開幕からの連勝(13)のセ・リーグ最多タイ記録、クライマックスシリーズ連続無失点投球回数記録(17)のセ・リーグ記録などを達成している。2021年の年俸8億円(推定)はNPB史上歴代3位の年俸である。
巨人では先発投手として4度のリーグ優勝に貢献。2017年のWBCではエースとして日本代表に貢献した。
母方の祖父は、元東海大相模高等学校野球部監督の原貢。母方の伯父は、読売ジャイアンツ元監督の原辰徳。
小学校に上がる直前の1995年10月8日に伯父の原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで、本格的に野球を始める。
小学校時代は軟式の少年野球クラブ「東林ファルコンズ」に所属し、当時から投手を務めた。
新町中学校時代は最速124km/hを投げ、エースとしてチームを県大会優勝に導いた。
東海大相模高校への進学するも、1年の時に右肩を故障し投げられない状態が続き野球を辞めようとしたが、東海大相模高校野球部のOBである父からの叱咤激励を受け、その後右肩も回復し、2年秋から主戦として活躍。3年夏の神奈川大会準決勝の横浜高校戦では打者として珍しい「振り逃げ3ラン」を記録するなどし、6-4で勝利したが、続く決勝戦で桐光学園に8-10で敗退した。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めたが、3年間で甲子園出場は一度も果たせなかった。高校時代の野球部の同期に田中広輔、1学年後輩に大田泰示がいる。田中とは大学でも同期であった。
大学は東海大学へ進学。3年夏の第5回世界大学野球選手権大会では、予選リーグのキューバ戦で自己最速となる157km/hを記録。首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。大学時代の野球部の1学年先輩に伊志嶺翔大、同期に前述の田中広輔、1学年後輩に坂口真規、伏見寅威がおり、捕手である伏見とは2年以上バッテリーを組んでいた。
2011年のドラフト会議では伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツと北海道日本ハムファイターズが1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得した。しかし11月21日に日本ハム入団を拒否する意向を表明し、浪人することを選択した。
2012年のドラフト会議では、巨人から単独1位指名を受けた。ドラフト会議後には伯父であり巨人の監督である原辰徳が東海大を訪れ、背番号「19」とネームの入った巨人のユニフォームに袖を通した。11月21日に契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円で仮契約を締結(金額は推定)。