小学校2年生から「梅林スポーツ少年団」で軟式野球を始めた。岐阜市立梅林中学校では「揖斐本巣パワーボーイズ」に所属する[2]。
岐阜県立岐阜商業高等学校では1年春から控え投手としてベンチ入り。3年春の第87回選抜大会では初戦の松商学園高校戦、2回戦の近江高校戦では好投したが、準々決勝の浦和学院高校戦では5失点で敗れた。
夏は左太もも肉離れの影響で準々決勝の中京学院中京高校戦で打者7人の登板のみとなり、準決勝の斐太高校戦では登板の機会がなく、敗退。その後第27回 WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出された。
2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークス、中日ドラゴンズ、北海道日本ハムファイターズの3球団が競合1位指名を受け、抽選の結果ソフトバンクが交渉権を獲得。
11月26日に岐阜市内のホテルで契約交渉に臨み、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円と、球団の高校生では2001年のドラフト1位の寺原隼人以来となる最高額で契約に合意。背番号は47。
2016年1月9日、新人合同自主トレ初日で左すねの張りを訴えてリタイア。昨夏の左太もも裏肉離れの影響で下半身の左右のバランスが崩れており、春季キャンプも別メニュースタートとなった。
5月28日の広島東洋カープとのウエスタン・リーグ公式戦で実戦デビューを果たし、7月14日のフレッシュオールスターゲームではウエスタン・リーグ選抜の先発を務め、1回1安打無失点、自己最速の154km/hを計測した。