八千代市立八千代台小学校1年の時に北東タイガースで野球を始めた。6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、NPB12球団ジュニアトーナメントにも出場した。
八千代市立八千代中学校時代は東都京葉ボーイズに所属し、主に遊撃手を守った。
習志野市立習志野高等学校では2年秋から三塁手のレギュラーを獲得。
3年夏の千葉県大会は、準決勝の検見川戦で先頭打者本塁打を放つなど打率.455と活躍し、チームは決勝に進出したが、山下輝擁する木更津総合に3-4で敗れ、甲子園に出場することはできなかった。高校時代の1学年下に古谷拓郎がいた。
進学した国士舘大学では1年春から三塁手のレギュラーを獲得。
1年春の東都大学野球二部リーグ戦ではリーグ4位となる打率.354の成績を残した。2年春はリーグ最多の22安打(打率.333)。
3年秋に三塁手から二塁手へ転向した。4年春はリーグ4位となる打率.333。東都大学野球リーグでは4年間を二部でプレーした。
通算成績は82試合に出場し、打率.289、83安打、3本塁打、32打点。大学時代の2学年上に髙部瑛斗。
2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから2巡目で指名を受け、11月18日に契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
千葉ロッテマリーンズジュニア出身者として初のロッテ入りした選手となった。
はえーよ
ワイは去年から活躍を予言してたわ
おせーよ
お前も早くこの船乗れ