那覇市立城北小学校の時に野球を始め、「首里マリナーズ」に所属。那覇市立城北中学校時代は、大矢明彦が名誉監督を務める硬式の「チームSOLA沖縄」(現・大矢ベースボールクラブ)でプレー。
一塁手として全国大会出場経験がある。
当時の監督であった大久保勝也からは「おまえはホームランバッターになれるから、絶対に小さい打撃をするな」と指導を受けていた。同チームの1学年下に大城卓三がいた。
なお、中学校ではバレーボール部に所属していた。
沖縄県立中部商業高等学校では主に一塁手、外野手として出場し、2年生秋から4番打者を務めた。3年夏は沖縄大会決勝に進出。
この試合では2安打を打つ活躍を見せたが、チームは2年生エースの島袋洋奨を擁する興南高校(この翌年には春夏連覇)に2-4で敗れた。
甲子園出場経験はなく、高校通算27本塁打。
2学年下には富士大学、埼玉西武ライオンズでもチームメイトとなる多和田真三郎がいた。
2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2位で指名され、契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。
同大学からは4人目のプロ入りで、野手では初となった。背番号は33。
西武の山川穂高内野手が31日、カーミニークで行われた3軍の練習に参加した。
ノックでは三塁の守備位置に就き、時折声を出しながら軽快なグラブさばきを見せた。その後のフリー打撃ではサク越えを連発するなど、汗を流しながら精力的にバットを振り込んだ。
練習後は、集まった報道陣には軽く会釈をするのみ。この日も口を開くことはなく球場を後にした。
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