野球好きの祖父の影響で軟式野球を始める。
広島県内の実家から広島市民球場まで遠く離れていたにもかかわらず、当時同球場を本拠地に使用していた広島東洋カープのファンだったことで、
小学6年時に中条少年野球クラブ、中学校への在籍中は軟式のクラブチーム「神辺レッズ」で捕手としてプレー。
中学2年時に「神辺レッズ」の監督だった三原新二郎の勧めで投手に転向した。
三原が山陽高校の監督へ就任したことに伴い、中学校からの卒業後に同校へ進学。3年夏の選手権広島大会で準決勝にまで進んだものの、春夏共に阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
硬式野球部での2学年後輩に中川皓太がいる。
近畿大学工学部への進学後は、4年春秋に広島六大学野球リーグで優勝し、大学選手権では初戦で小林慶祐(東京情報大)と投げ合って勝利、2回戦は山崎康晃(亜大3年)との投手戦で6回2/3を1失点に抑えるも敗れた。
秋の明治神宮大会では準々決勝進出を経験した。3年秋から3季連続で最優秀防御率、ベストナインを受賞。
卒業後に新日鐵住金広畑へ入社すると急成長を遂げた2年目から2年連続で日本選手権に出場。
第87回都市対抗野球大会では、近畿地区の最終予選における投球で、NPBの複数球団から注目されるようになった。
チームはこの試合に敗れたものの、森原は日本新薬の補強選手として本大会に出場。
本大会では、1試合(1イニング)のみの登板ながら、ストレートで151km/h(当時の自己最速)を記録した。
2016年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目指名を受け、契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団。背番号は52。
伊藤裕季也
なんで楽天がポイしたか不思議