二軍監督の片岡篤史氏(54)は、立浪和義監督(54)とPL学園高の同級生。3年生だった87年には、ともにレギュラーとして甲子園春夏連覇を成し遂げた間柄だ。
「2人はプロ入り後も、同じチームにはなりませんでしたが、ずっと仲が良かった。それで、21年秋に立浪氏の監督就任が決まると、彼のたっての希望で片岡氏が二軍監督に就任したのです」(球団関係者)
当初は意思疎通も完璧だったという2人。しかし、ここへ来て“隙間風”が吹いている。7月中旬以降、立浪監督が周囲に、
「篤史は何やってんねん!」
と嘆くことが増えたというのだ。一体、何が起こっているのか。
「本来、一、二軍の監督は、選手の入れ替えや昇格する選手の推薦などで、密にやり取りする必要がある。なのに、最近では片岡氏が立浪監督の電話に出ず、まともにやり取りができていないのです」(前出・球団関係者)
なぜ片岡氏は“盟友”の電話に出ないのか。
「原因は酒です。二軍の公式戦は一部球場を除いて基本的にデーゲームのため、片岡氏も午後6時には帰宅。大の酒好きの片岡氏はそこから晩酌を始めるのですが、チームの不振でストレスが溜まっていることもあって酒量が増え、さっさと寝てしまう」(同前)
一方、立浪監督が電話するのは、ナイターの試合が終わった後。
「その頃には片岡氏はすっかり寝入っているというわけです」(同前)
「原因は酒です。二軍の公式戦は一部球場を除いて基本的にデーゲームのため、片岡氏も午後6時には帰宅。大の酒好きの片岡氏はそこから晩酌を始めるのですが、チームの不振でストレスが溜まっていることもあって酒量が増え、さっさと寝てしまう」(同前)
一方、立浪監督が電話するのは、ナイターの試合が終わった後。
「その頃には片岡氏はすっかり寝入っているというわけです」(同前)
2人のスレ違いで、チームにも悪影響が。起用方針について監督間で意思の統一ができておらず、片岡氏から「スタメンで頑張ってこい」と言われて送り出された選手が、いざ一軍に行ったら控え要員だったこともあったという。さらに、
「監督間の選手の入れ替えの連絡が遅れれば、選手本人への伝達のタイミングも遅れます。実際、一軍昇格の連絡が遅く、ほぼ寝ずに遠征先へ駆けつけるハメになった選手もいる。
充分な準備ができないまま試合に出るので、パフォーマンスも中途半端に。選手たちは『そのうち、遠征先での試合開始に間に合わず、立浪監督に激怒されるのでは』と恐々としています」(別の球団関係者)
盟友の絆も、酒の前では無力だった。
片岡が悪い
米なしクラブなんて選手に弄られとるし
誰も逆らえない恐怖の象徴みたいに言われてたのは何だったんや
中日の一軍の試合を3時間や4時間も見てから立浪の電話を待ってたんやな
なんでこんな真面目なん