中学校時代はシニアリーグのチームに入っており、後にPL学園で同学年のチームメイトとなるボーイズリーグ出身の立浪和義とは試合をしたことがなかった。
シニアでは「京都の怪物」の異名をとるほどの強打者として有名だったが、PL学園時代は体は大きいが要領が悪く、洗濯機を奪い合う競争にもいつも負けていた。
同期の1年生たちが先輩たちのユニフォームの洗濯を終えて眠りをむさぼる深夜、ようやく片岡は洗濯機に先輩のユニフォームを突っ込んでうなだれているという有様だった。
そんな片岡の様子を、立浪は「いつか、寮から逃げ出すのではないか」とずっと心配していたという。
高校2年の秋の大会ではレギュラーのポジションを獲ったが、打撃には安定感がなく、左打者である片岡は、相手チームのエースが左投手だとスターティングメンバーから外されて悩んでいたという。
当時大阪桐蔭高校の1年生には、後に立浪とともに中日ドラゴンズでプレーする左のエース・今中慎二がいた為、彼が出てくると先発から外された。
立浪「龍空のカット打法を全員に仕込む」
中日選手も大変やな(´・ω・`)