高橋 周平(たかはし しゅうへい、1994年1月18日 - )は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。
2019年から2021年まで同チームのキャプテンを務めた。
藤沢市立善行小学校1年時から野球を始め、投手としてプレー。藤沢市立善行中学校時代から湘南クラブボーイズで野手としてプレーし、中学2年時に日本一、ジャイアンツカップ準優勝を経験。
小学校、中学校とボーイズリーグの4学年後輩に小笠原慎之介がいる。高校進学については横浜高等学校に憧れを抱いていたが、東海大学甲府高等学校のコーチ和泉淳一からの誘いを受けて同校に進学。
高校では1年春から「4番・三塁手」としてレギュラー入りし、秋からは遊撃手で起用される。2年春には、市立柏高校との練習試合にて1イニングに満塁本塁打2本を記録した。
3年春は打率.471の活躍で県大会優勝に貢献。決勝戦では山梨県記録となる57号本塁打を打った。3年夏は山梨県大会で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。
高校通算本塁打数は71本。 8月に行われたAAAアジア野球選手権において日本代表に選ばれ、5試合で20打数10安打13打点を記録した。
決勝の韓国戦では高校通算71号となる先制2点本塁打と適時打を打ち、MVPを獲得。日本の同大会優勝に大きく貢献し、木製バットへの対応力も見せた。同高の2学年後輩に渡邉諒がいる。
2011年10月27日に行われたドラフト会議にてオリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果、中日が交渉権を獲得した。
甲子園出場経験のない高校生野手をドラフト1位で3球団が競合するのは史上初。
11月25日に横浜市内のホテルで入団交渉を行い、契約金1億円、年俸1200万円で仮契約を結んだ。中日の高卒新人としては球団史上最高の年俸額であった。
背番号は森野将彦が2009年までに着けていた31。同姓の高橋聡文がいるため、スコアボード名は「高橋周」となり、背ネームは「S.TAKAHASHI」となった。