高校生の急増期の生徒受け入れを目的に、大阪市にある大阪産業大学高等学校(現・大阪産業大学附属中学校・高等学校)の臨時分校として「大阪産業大学高等学校大東校舎」が1983年(昭和58年)に大東市に設置された。
大東校舎は、大阪府知事から急増期の間だけの臨時の設置として認可されており、申請書の生徒募集計画の欄には、昭和64年度(1989年度)以降の募集はゼロであることと明記。
「昭和63年4月の入学生が卒業する時点で閉鎖される前提」だったが、校章の桐から名付けた大東校舎だけの保護者会「桐友会」が1986年に結成され、卒業生1期生の保護者を中心に存続を求める動きが発生。
臨時ではなく独立校としての認可を求めて、嘆願趣意書の署名を集める活動を桐友会が学校法人と展開した。結果、1988年2月17日に新たな「大阪桐蔭高等学校」設置が認可され分離独立。4月7日に、第1回入学式が行われた。