小学1年生の時に野球を始め、玉城中学校の野球部では、投手兼捕手として活躍した。中学校2年生時には、九州選抜大会に出場(今宮健太も同大会出場)。2回戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せ、九州大会3位に輝いた。
沖縄尚学高等学校では1年春から正捕手の座につき、2年時には選抜高校野球大会に出場。1学年上の東浜巨とバッテリーを組み、優勝を果たした。
亜細亜大学に進むと、1年の春には一塁手のレギュラーとなるが、秋には早くも正捕手のポジションを任され、沖縄尚学時代と同様、東浜と共にバッテリーを組んだ。
2年の秋には東都大学リーグにおいて優勝を果たす。4年時には日米大学野球選手権大会で正捕手を務めた。4年間で6度のリーグ優勝を果たし、4年秋の第44回明治神宮野球大会では日本一に輝いた。
大学では東浜以外にも同期の九里亜蓮や、後に横浜DeNAベイスターズでもバッテリーを組むこととなる1学年後輩の山﨑康晃といった好投手とバッテリーを組んでいた。
2013年10月24日に行われたドラフト会議では横浜DeNAベイスターズから3位指名を受け、契約金6000万円、年俸1000万円(金額は推定)で契約した。担当スカウトは武居邦生。背番号は39。