サイドスローの投球フォームで1989年から1990年代の巨人投手陣を支え「平成の大エース」と呼ばれた。巨人では投手として、6度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。
桑田真澄、槙原寛己とともに先発「三本柱」と呼ばれた3人の中でも抜きん出た成績を残し、沢村栄治賞3回、最優秀選手1回、最多勝利5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、最高勝率3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回 など数々のタイトルや表彰を獲得した。1994年には、10.8決戦に登板し、勝利投手となった。
連続完投勝利記録(11)とシーズン最多完封回数(7)のNPB最多記録を持ち、2年連続20勝達成などでセ・リーグ最多記録となる最多勝利を5回獲得、セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得、セ・リーグ投手最多記録となるベストナインを5回受賞している。平成初の沢村栄治賞を受賞し、史上4人目の沢村栄治賞3回受賞も達成した。
選手時代の愛称は同音姓の芸能人・斎藤清六にちなんでセイロク。評論家となってからは、フジテレビONEの「プロ野球ニュース」などで「雅樹さん」と呼ばれている。