与田 剛(よだ つよし、1965年12月4日 - )は、福岡県北九州市八幡東区出生、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチ、中日ドラゴンズで監督を務め、現在はプロ野球解説者・野球評論家、ロキテクノ富山オーナー付アドバイザーとして活動している。
1999年から2000年までの登録名は「与田 剛士」(読み同じ)。妻は元TBSアナウンサーの木場弘子。
現役時代は中日ドラゴンズで新人年(1990年)に最高球速157 km/hを記録するなど、抑え投手として活躍。その剛速球は「名前通りの剛球」と呼ばれた。
木更津総合高校当時から肩幅が広く、衣紋がけと言われていた。野球部の同級生にプロレスラーのリッキー・フジがいる。
亜細亜大学時代は阿波野秀幸が1学年上にいた。故障が多く、登板機会はほとんどなかった。4年秋になってようやくリーグ戦に登板し、通算1勝。大学時代に右腕の血行障害を患い大学3年のときに手術を受けたが、これは高校時代から投げすぎたために人差し指と中指の手のひら側のつけ根に筋肉がついて手のひらの血管を圧迫していたのが原因という珍しい症例だった。
実績がないなかで監督らの推薦で入ったNTT東京時代に球速150km/hを超える剛速球が注目され、野茂英雄、潮崎哲也らと全日本代表メンバーに抜擢。1989年の都市対抗野球では佐々岡真司(三菱重工広島補強)と投げ合って先発完投も1-2で惜敗。
1989年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズが1位指名し、単独指名で交渉権を獲得。与田本人は当初、在京球団(特に西武ライオンズ)を希望していたが、後に契約金7500万円・年俸720万円(金額は推定)で合意し、入団。
扉どころか座席はグリーン車でも狭くなってそう