東京ヤクルトスワローズにて、ユーティリティープレイヤーとして活躍した度会博文の次男として生まれる。兄の基輝は拓殖大紅陵高、中央学院大を経てJPアセット証券に所属している。
兄の影響を受けて3歳の頃から野球を始める。市川市立柏井小学校時代は東京北砂リトルに所属し、6年でヤクルトJr.入り。市川市立下貝塚中学校時代は、佐倉シニアに所属。チームメイトに主将を務めた西川僚祐がいる。リトルシニア全国選抜野球大会優勝、ジャイアンツカップ優勝を達成した。また、U15日本代表として、アジアチャレンジマッチに出場。最優秀選手に選出された。
横浜高等学校に進学。入学直後から背番号14でベンチ入りすると、1年夏の神奈川県大会では代打としての5打数5安打を含む9打数7安打を記録した。甲子園1回戦の愛知産業大学三河高等学校戦では甲子園初打席初安打を記録した。1年秋には正二塁手の座に就くも、ケガもあり翌春のセンバツは代打として出場した。以後、不祥事による平田徹の監督解任などもあり、甲子園出場はなかったが、高校通算24本塁打・公式戦通算打率.419をマークし、プロ志望届を提出するも、指名漏れ。社会人野球の名門、ENEOSに進んだ。
ENEOS入社後は、チーム事情もあり、外野手(主に右翼手)を務める。1年目からレギュラーの座を掴むと、都市対抗本戦でもホームランを放つなど打撃の中心として活躍。神奈川ベストナインに指名打者として選出された。2年目の都市対抗では、4本塁打・打率.429を記録しチームの9年ぶりの優勝に貢献。橋戸賞・若獅子賞・打撃賞の三冠に輝いた。橋戸賞と若獅子賞の同時受賞は史上3人目、野手としては初の快挙となった。同年末には前述の都市対抗などでの活躍もあり、社会人ベストナイン(外野手)に選出された。
2023年10月26日に行われた2023年新人選手選択会議に於いて、中日ドラゴンズ、横浜DeNAベイスターズ、千葉ロッテマリーンズの3球団から1位指名を受けた。抽選の結果、横浜DeNAベイスターズ監督の三浦大輔が交渉権確定のクジを引き、入団交渉権を獲得した。