中日の高橋宏斗が7月5日の巨人戦(バンテリン)で初回、先頭ブリンソンの打球を左太もも裏に受けた。
投手は正面に打球が来たら捕ればいいのに、それができなかった。日ごろから守備の練習をしていない証拠である。投手は打者に対して一番近くに守っているから危ない。逆に言えば、痛烈な打球に慣れておく必要がある。危ないからと守備練習を避けているからこういうことが起こるのだ。
私がヤクルトの監督時代は投手陣に至近距離からノックの雨を降らせた。ノッカーには「体の正面に打つときは細心の注意を払え。受け損なったらケガをする。その代わり、左右には強い球を打て」と指示。尾花高夫など「殺さば殺せ!」と必死にノックを受けていたものだ。
高橋宏は投げ方が徐々に悪くなってきた。頭を一塁側へ倒して投げるから、投げ終わったあと、左手のグラブが打球に追いつかないのだ。投手の仕事は球を投げるだけではない。守備態勢に入って初めて終わりという習慣付けをするべきだ。
さらに言えば、打者の傾向として、真ん中から外角寄りの球が投手を直撃する可能性が高い。そういうことを分かっているはずなのに、対処ができていないのだ。情けない。
高橋宏がマウンドでしゃがみ込んだとき、監督が行かないのは間違い。わが子がピンチに陥って真っ先に飛び出していかない親がどこにあろうか。その上で、プレー続行ができるかできないかを判断すべきだ。選手の顔色を見ればひと目で分かるが、私は「やるのかやらないのか、どっちだ?」と聞いた。そうすると、みんなやった。
立浪和義監督の就任2年目の今季、順位が最下位なのはまだいい。やっていることが最下位なのだ。立浪監督は内野手出身だけに、もう少し野球が分かっていると思ったが、本当に分かっていない。私が監督になれば、選手はもっと働く。三振して平気な顔でベンチに帰ってくるような選手を私は許さないからだ。
話は変わるが、阪神の近本光司は右脇腹への死球で肋骨を骨折した。
阪神に限らず、故障者が今季も多い。トレーナーという名の専門家を雇えば雇うほどケガ人が増えるということはどういうことなのか。
われわれの時代の巨人には吉田増蔵さんという専属医師がいた。死球で骨折した場合、自然治癒を待つのではなく、故障個所を元へ戻してギプスで固めた。こちらのほうが早い。私が大洋・稲川誠投手から頭に死球を食らったときに吉田先生に見てもらったら耳の近くの骨にヒビが入っていた。吉田先生は「すぐに治せる」と言った。
治療後に気分が悪くなって吐いたときに窒息しないように一晩中、私の枕元で見守ってくれた。そんな先生と比べると、今のトレーナーは何かあればベンチを脱兎のごとく飛び出してくるだけで何の役にも立っていない。病院へ連れていくためだけにいるのだろうか。
近本のケースは故障のうちに入らない。負傷後の遠征に一度は帯同したというではないか。骨が砕けたり折れたりしたら、激痛で立っていられない。吉田先生によれば、肋骨は一旦立ってしまえば痛くもなんともない。動き始めが痛いのだ。
話を中日に戻すと、とにかく大切なのは勝ち負けではない。この選手を育てているなという雰囲気だ。
選手の育成は一朝一夕で成るものではない。大抵の人間はやらずに文句を言う。「やったけど俺には無理」と決めつける人間もいる。何事もすぐに結果など出ない。やってみて、今できなくても、それでもやるという気持ちがなければ続かない。
「いま理解できなくても、とにかくやってみろ。必ず私の言うとおりになる」
その信念を立浪監督にも持ってほしい。
●廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。
廣岡さんの期待してる長岡が打てなかったよ