横浜高校時代はエースとして1998年春・夏の甲子園連覇を達成し、同年のドラフト会議で西武ライオンズ(パ・リーグ)から1位指名を受けて入団。
プロ入り後は西武やMLBのボストン・レッドソックスなどで活躍した。
21世紀初の沢村栄治賞受賞者。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞し、3年連続ベストナインにも輝いた。2006年と2009年のWBCではエースとして日本代表に貢献した。
先発投手として、NPBで2度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝、MLBで1度の地区優勝、1度のリーグ優勝、1度のワールドシリーズ優勝、日本代表で2度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献している。アテネオリンピックの銅メダリスト。
青森県青森市生まれ、東京都江東区育ち。弟・松坂恭平は愛媛マンダリンパイレーツに所属していた元プロ野球選手。
妻は元日本テレビアナウンサーの柴田倫世。夫婦の間には2005年12月に誕生した長女と、2008年3月に誕生した長男、2010年3月に誕生した次女がいる。
「大輔」という名前は、1980年代前半の早稲田実業野球部のエースだった荒木大輔の名前からとられている。
愛称は「マツポン」「マツ」「ダイスケ」、メディアでは「平成の怪物」「怪物」、MLBメディアでは「Dice-K」「D-Mat」という愛称が使われている。ボストンでは「Dice-K」が好まれる。
本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。渡米後の代理人はスコット・ボラス。
なんやコイツ
29歳以降で176勝