2000年のドラフト会議では複数球団による1位指名での争奪戦が確実視されていたが、祖父の内海五十雄が巨人の野手だったこともあり、ドラフト直前に巨人以外からの指名は拒否することを表明した。そのため、ドラフト会議では巨人が単独で3位以降で指名することが想定されたが、オリックス・ブルーウェーブが1位指名した。指名直後に当時の監督の仰木彬から電話を受けるなどしたため、一時はオリックス入団に傾いたが、高校時代にバッテリーを組んでいた李が巨人から8位で指名されたことで逆に巨人への気持ちを強くし、最終的には東京ガスへ進んだ。同期入社には片岡易之がいる。社会人時代は香月良太・森大輔とともに「三羽ガラス」と呼ばれていた。
2003年の第74回都市対抗野球大会にシダックスの補強選手として出場し準優勝。同年のドラフト会議で巨人が自由獲得枠で交渉権を獲得し入団。背番号は祖父と同じ26に決まった(言われるまで知らなかったらしい)。
巨人「ま、ルールやしな…しゃーない」
再評価路線あるだろこれ