能美市立寺井小学校の2年時に、寺井学童野球クラブで軟式野球を始めた。
小学校卒業後の2007年4月、能美市が主催した同市出身の松井秀喜(当時、ニューヨーク・ヤンキース)応援ツアーに応募し、当選。
旧ヤンキー・スタジアムにて松井と握手をした(試合は雨で中止)。
能美市立寺井中学校への進学後に白山能美ボーイズへ所属すると、日本少年野球選手権大会全国大会での準々決勝進出を経験した。
青森山田高校への進学後は、1年生の春からレギュラー遊撃手に抜擢。
しかし、同じ青森県にあり田村龍弘や北條史也のいた八戸学院光星高校の後塵を拝する格好で、在学中には春夏とも阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
高校の同学年には木浪聖也が、1学年先輩には山崎晃大朗がおり、山崎とは大学でもチームメイトとなった。
日本大学法学部公共政策学科への進学後は、1年時からベンチ入り。
3年時には、東都大学野球リーグの春季2部リーグ優勝を経て昇格した秋季1部リーグで、遊撃手としてベストナインを獲得した。
4年時にはチームの主将を務め、秋季1部リーグ戦では、打率.328、11盗塁という好成績を残した。
第40回日米大学野球選手権大会の日本代表に選抜。大会では、中京学院大学の吉川尚輝と二遊間を組んだ。野球部の同期には弓削隼人がいる。
2016年度NPBドラフト会議にて中日ドラゴンズから2巡目指名を受け、契約金8500万円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団。背番号は51。
担当スカウトは正津英志。指名の直後に出場した東都大学野球秋季1部リーグの東洋大学戦では、4-3で勝ち、チームとして25年ぶりの1部リーグ優勝を果たした。
22年 .172 3 8 ops.545
23年 .227 1 9 ops.557